昨日の続き
作業の為に鶴山球技場から道が作られていました。
その球技場の東の端 ポツンと高さ5~60センチ程の小さな石碑がありました。
少し見にくいですが
此 一戦 でしょうか。
裏側には
城山球技場 昭和三十一年八月竣工 失業対策事業施工 とあります。
私の生まれた年ですね!それも8月!
いつから鶴山球技場になったのでしょうか?
たしか昭和37年 第17回国民体育大会のバレー競技がここで分催されたはずです。
その頃には鶴山球技場と呼んでいたような・・・・・?
切り倒された木が並んで置かれています。
ここはどうなるんでしょうね?
鶴山幼稚園の頃はここで運動会でした。
やはり解体されて駐車場にでもなるんでしょうか。
かつてはこの薬研濠(やげんぼり)も鬱蒼とした大木で覆われていました。
何でこうなったの?
何故か厩濠(うまやぼり)は昔のまんまです。
津山城の古絵図のどれを見ても東斜面は松林と藪、
北もほぼ同じようです。
最近では松は全滅傾向で難しいでしょうが、
やはり観光客誘致の為の桜植樹なんでしょうかね。
千万単位の予算を何とか使わなければ・・・・と勘繰ってしまいます。
良き結果になる事を祈るばかりです。